スーパーマリオブラザーズ


「スーパーマリオブラザーズ」、この名前を知らない人はまずいないでしょう。
このソフトは国内で681万本もの売り上げをあげました。
ソフト単体でこのソフトを超える売り上げを出したものはありません。
このソフトがファミコンの人気を不動のものにしたのでした。
しかし、このゲームの主人公は美少年でも美少女でもありません。
イタリア生まれの配管工のおじさんです。
主人公がおじさんにも関わらずこのゲームは皆に受け入れられ、そして愛されたのです。
今の時代には絶対にありえない光景ですよね。
しかしこの時代にはそれがありました。
それはきっとこのゲームには今までにないほどのゲーム性があったからでしょう。
本題に入る前にひとつ聞いて欲しい事があります。
このゲームって今のゲームの基準だと難しすぎるということになりますよね。
いまからこのゲームを触った人間なら誰でも一度は味わったことがあると思える事を書いていきます。
「スタート直後のクリボーに当たった」
「ノコノコを蹴って跳ね返ってきたこうらに当たった」
「1−2で戸惑って足を踏み外した」
「エレベーターから落ちた」
「プクプクに当たった」
「クッパの倒し方がわからない」
「城のステージまでせっかくファイヤーマリオでいけたのに頭をぶつけて落ちてしまった」
「ファイヤーバーに当たる」
「バブルに当たる」
「トゲゾーを踏んづけてしまう」
「迷路で迷ってしまう」
「海で頭をぶつけて落ちてしまう」
「ゲッソーに当たる」
「コインを欲張ってついついミスをする」
「キラーと正面衝突」
「ハンマーブロスのハンマーの餌食になってしまう。」
「各ワールドの3番目のステージで落ちてしまう」
「ジュゲムの落としたパイポをついつい取ってしまった」
「1UPキノコを追ってそのまま穴に落下した」
「8−1で土管の間のメットをつい蹴っ飛ばしてしまい当たってしまった」
「8−1でタイムオーバーになってしまった」
「8−2前半のジュゲム地帯が抜けられない」
「8−2の大穴が飛び越えられない」
「8−3が難しすぎて投げ出した」
「8−4のクリア方法がわからない」
ざっと書いてみましたがみなさんはどうでしょう?
僕はこの全てに軽く当たります。しかしこの程度ではありません。もっともっと失敗したことがあります。
でも、考えて見てください。
こんなにもミスする要素の多いゲーム、今の基準では難しすぎるどころじゃすまないと思います。
発売前からめちゃくちゃに叩かれていると思います。
しかしこのゲームは売れました。
みんなクリアしました。
途中で何度もあきらめかけた人もいると思います。
でも、クリアしました。
同じところを何度ミスしても『次は進めるはず』と思って挑戦しそして失敗するという事を繰り返してひとつひとつ困難を乗り越えていったと思います。
このゲームで「忍耐力が身に付いた」なんて子供もいたと思います。
人間は同じ失敗を何度も繰り返しながら学習し、生きているのです。
それが見事にゲームに生かされているのです。昔はそうでした。
ではどうして今はそれが許されないのでしょうか?
今のゲームは序盤はまず死なないようにできています。
かといって後半になると難しいという訳でもありません。
これでは面白くもなんとも無いと思います。
なにか問題が起こるとすぐにゲームが問題視されますが本当にそうなんでしょうか。
僕自身の意見だとゲームは子供の心の成長を促すものだと思います。昔のゲームの話ですけど。
要はゲームを生かすも殺すも遊ぶ人次第だとという訳です。
ゲームには悪いところばかりじゃないという事を大人たちにもわかってもらいたいと思います。
しかし今のゲームには「学習する」という部分がないためにそれを遊んだ子供たちは我慢することができなくなりなんでも自分達の思い通りになってしまうと思い込んでしまうのです。
例えばRPGでは大抵プレイヤーは英雄気分が味わえたりしますよね。
これを現実に持ち込んではいけないのです。
こんな風に書くと「ゲームのなかった時代は?」なんて聞く人もいると思いますがそんなことその当時の人からすれば聞くまでもない事だと思います。
ゲームのなかった時代なんてのは高度経済成長の真っ只中だったので人は誰でも皆、我慢をするのが当たり前だったのでした。
では、今はどうでしょうか。
僕個人の見解からすると今の子供は欲しいと思ったものは何でも手に入ると思っています。そして、どうしても手に入らないものにぶつかった時は盗んででもそれを手に入れようとします。
例えば、僕の経験からするとカードゲームをやっていた時の事です。
子供たちは欲しいカードがあるとなんとしてでもそのカードが欲しいのでうるさい位に交換を求めます。
初対面かどうかなんて関係ありません。
そして交換なんて絶対にできないような高価なカードは気付いたら盗まれていました。
今の子供がここまで荒んでしまったのはゲームが簡単になったことが関係あるように思えてならないのです。
だって世の中に甘やかされているのにゲームの中でまで甘やかされているんですよ。
その上、塾や習い事に忙しくて「生きるために本当に必要なこと」を学習する時間がないのです。
だから平気で人を傷つけたりもします。学級崩壊もします。
僕はそんな今の子供たちを見るにつけ日本の未来を心配したくなります。
頭が優れている=人間ができている
ということではないのです。
大人たちはそれに気付いていないのです。
その役目を担うものこそ「ゲーム」だと僕は思います。
ゲームって根底にあるものは「学習」だったのです。
ファミコン時代のゲームにはなにかしら勉強が当てはまりました。
しかしいつの間にかゲームから「学習」が取り除かれました。
「恋愛ゲーム」という不可思議なものが今の世の中にはありますがこれは何を学ぶためのものなのでしょう?
「恋愛」を学習してどうするのでしょうか。
「フルCGのムービーばっかりのゲーム」を見て、何を学習するのでしょうか。
いつからゲームは遊びというよりも企業の技術発表会みたいになってしまったのでしょうか。
みんななんか大事な事を忘れています。
ゲームの根底は「楽しく学習」ですよ。
ゲームは自分が主役の祭りです。
技術は二の次、まずは楽しんでもらわないと。
終わった後にそれまでの苦労が走馬灯のように思い出されるくらいじゃないと。
そして「あーおもしろかった」って言ってもらわないと。
僕はそう思います。

いい加減にこのゲームの思い出に入りたいと思います。
僕がこのゲームで最初に行き詰ったのは4−2のスタートのあなです。
その次は4−3のスタートで当時「Bダッシュ」すら知らなかった僕は高いところに上る事ができなかったのです。
その次は4−4で迷路の突破方法がわかりませんでした。
その次は8−1で何回やっても時間切れになっていました。
その次は8−2で5回に1回ぐらいしかジュゲムのところが越えられないのに越えてもその先の大穴が飛び越えられずに何度もやりなおしていました。
8−3も当然行き詰りました。
こんなにも行き詰ったりあきらめたりもしましたが僕はこのゲームが大好きです。
ファミコンの持つ無限の可能性を示してくれた任天堂が大好きです。すごいと思います。
ここまで楽しめるゲームを今の時代に任天堂以外のゲームで味わってみたいです。
そういうゲームがでればきっと売れないでしょうけど。
今のゲームに飽き飽きしている人は間違いなく買ってくれるでしょう。
絵なんてどうでもいいんです。色が少なくてもいいんです。おもしろければそれでいいです。
誰か「ゲーム本来の楽しさ」というものを本気で追求してみませんか。
なんか次々と新しい機械が出てきてその前の機械が性能を最大限に発揮する前に忘れ去られていっているようにさえ思います。
そして、それに振り回されている人が多すぎます。
みんな、もっとゲームを楽しみませんか?
 

1−1でクリボーに当たったのでもどる