2D、3Dゲームの未来について考える
現在、2Dゲームは絶滅の危機に瀕している。先日発表された「PSP(仮名)」によってそれはますます現実のものになろうとしている。(と個人的には思っている)
その理由は聞いた話によると「PSP」の画面は「PS2」以上にきれいなるそうだからだ。そうすると2Dが主流である携帯ゲーム機に3Dが入ってくることになる。ということは携帯ゲーム機で「FFX−2」などというとんでもないことになりかねないのです。
これはもちろん、「PSP」が売れたときのことですが、現在の信じられないような風潮(ゲームは出しても売れないがハードは出せば売れる)においては売れないとは考えられません。
だから「PSP」が発売され、なおかつそれが売れたとしたら2Dゲーム最後の砦である「携帯ゲーム機」にも2Dの居場所はなくなってしまうことになりかねないと思います。
そうなると世の中から2Dゲームというものはほぼなくなってしまうことになります。つまり、3Dゲームの未来は明るいが2Dの未来は真っ暗なのです。
一体何が2Dゲームをここまで追い詰めているのかをこれから考えてみようと思います。
〜2Dと3Dの違いについて〜
2Dとは縦と横の2つの次元からなるものであり、一方3Dとは縦と横に加えて奥行きが加わった3つの次元からなるものである。
以上が2Dと3Dとの簡単な説明ですがここでひとつ疑問があります。
(個人的な意見だと思って聞き流してもらってもかまわないです)
2Dから3Dに変わって出来ることの範囲が増えたというのが一般的な意見ですが本当にそうなんでしょうか?実は2Dから3Dに変わったことによって出来るようになったこと以上に出来なくなった(出来ない)ことのが増えたんじゃないかと僕は思うのです。
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とりあえず、思い浮かべてください。何か頭にアイデアが浮かんだとしましょう。2Dのゲームの場合、それがすぐにゲーム画面に再現することが出来るとします。(多少の時間はかかりますが・・・)しかし、3Dゲームの場合、そのアイデアを再現することはまずムリだと思います。つまり、3Dゲームはゲームとしての想像の幅を狭くしてしまっているのです。
なんか書いてて何が何やらよくわからなくなってきましたが話を続けましょう。
ここでひとつ、例を挙げてみましょう。
いまや3Dゲームの代名詞的存在の「ファイナルファンタジー(通称F・F)」ですがこのシリーズの「6」には「オペラ座」というイベントがありますがこの「オペラ」のシーン、「6」において最大の見せ場だと個人的には思っているのですがこのイベントは3Dでは絶対に再現できないと思いました。2Dの場合、画面上にキャラと歌詞が出ているだけであとは想像でカバーできたので「オペラ」をイベントとして組み込むことが出来たのです。しかし、これが3Dになるとどうでしょう。ユーザーは妥協なんて許さないでしょうからきっと、「フルCGでのオペラ」(もしくはフル3D)を求めるでしょう。そうなると「リアルなオペラ」を作らなくてはならなくなります。それはすごく大変なことだと思います。しかしそんなものを作っても時間の長い「オペラ」が流れるようなゲームはもはや別のゲームです。しかもいざゲームになるとユーザーはそんな物、見向きもしないと思います。
せっかく苦労して作ったのにそれが全く報われないことになります。
つまり、リアルになればなるほどリアルは求められなくなるという矛盾がここに生じることになるのです。
このようなことに近いことは他にもあります。
敵の軍隊が攻めてきたとします。2Dの場合、敵がひとりだったとしても敵が攻めてきたと思わせることは出来たでしょう。これが3Dだったとしたらどうでしょう。敵がひとり攻めてきたぐらいでは誰も敵が攻めてきたなんて思ってはくれないでしょう。敵が攻めてきたと思わせるには大量に敵の軍隊を出す必要があります。こんなに手間のかかるストーリー、誰も考えたくないですよね。それに作る前から無理だと思うものを作ろうとする人はいないと思います。
つまり、個人的には3Dって「人の想像の幅を狭めるもの」だと思うのです。昔の2Dのゲームはほとんどの場合、ゲーム中にストーリーなんてありません。ストーリーとはゲームを遊んだ人それぞれの中にあるものでした。
しかし今はどうでしょう。現在の3Dゲームの多くは想像する余地がないほどまでに細部までこだわったストーリーやどうでもいいようなところまで性格づけがなされたキャラクターがいたりします。これではユーザーはただあらかじめあるストーリーをなぞって楽しむだけだと思います。そこには一昔のゲームのような「本当の意味での自由」はありません。ストーリーひとつにしてみても昔のゲームにあった『こことこことの間にはこんなことがあったに違いない』なんて考えることもできないのです。
これではなんだか「話は考えてやったから余計なことは想像するな」といわれているようです。
2Dで作ったゲームを3Dのゲームとして置き換えることははたして可能なのか2Dで作られたゲームを3Dに置き換えてシミュレートしてみようと思います。
これから挙げる物を想像してみてください。
この文章読んでいる人なら知らない人はいないと思われる超有名ゲーム「スーパーマリオブラザーズ」。このゲームをそのまま3Dに置き換えて見てください。
なんかとんでもなく無謀な事をしようとしているような気がしてきました。しかし気にせず進めましょう。
あなたは今、スタートボタンを押しました。
目の前に慣れてきた頃に当たってしまうこのゲーム最大の「罠」、「クリボー」が目の前に現れました。
2Dのマリオの場合 | 踏むなり飛び越えたりなりするでしょう。 |
3Dのマリオの場合 | 奥行きがあるので踏もうとしても空振りに終わるかもしれません。 飛び越えようとしても距離が足らずに「クリボー」に当たってしまうかもしれません。 |
「クリボー」を倒したあなたの前に今度は緑色の「土管」が現れました。ちなみにその「土管」には入る事ができます。
2Dのマリオの場合 | 土管に乗ってしゃがめば土管の中に入る事ができます。 |
3Dのマリオの場合 | 土管に乗れたとしてもしっかりと真中にいなければ土管の中に入る事はできません。 |
緑色のカメ、「ノコノコ」がやってきました。
2Dのマリオの場合 | 上から踏みつけた後にこうらを蹴って壁に当たって跳ね返ってきたこうらに当たってしまったり飛び越えたりします。 |
3Dのマリオの場合 | 上から踏みつけるのも大変なら返ってきたこうらを避けるのも一苦労です。 |
順調に進んだあなたの目の前にゴールをあらわすポールが現れました。
2Dのマリオの場合 | Bダッシュで階段を駆け上がってポールに飛びつけば5000点。 |
3Dのマリオの場合 | まっすぐに飛びさえすればポールの頂上につかまって5000点です。 |
さらに進んだあなたの前に「スーパーマリオブラザーズ」いちの強敵、「ハンマーブロス」が現れました。
2Dのマリオの場合 | 投げてくるハンマーの間を縫って安全地帯にはいってチャンスをうかがいつつ踏みつけて倒すなり下を通り抜けるなりするでしょう。 |
3Dのマリオの場合 | 奥行きがあるためにハンマーの軌道がわからないため安全地帯に入る事ができません。 ハンマーブロスがものすごく強大に見えてきます。 |
ついに大魔王「クッパ」のおしろまでやってきました。目の前にはファーヤーバーがあります。
2Dのマリオの場合 | 普通に避けます。 |
3Dのマリオの場合 | 普通に避けます。 |
ファイヤーバーを乗り越えたあなたの前に今度は画面に入りきらないような長さのロングファーヤーバーが立ちふさがりました。
2Dのマリオの場合 | タイミングを見計らって一気に通り抜ける。 |
3Dのマリオの場合 | タイミングを見計らって一気に通り抜けようとしたが後ろからきたロングファイヤーバーに当たってしまった。 |
遂に問題が起こりました。そうです、3Dではロングファイヤーバーが回転をして戻ってくる時に画面から消えてしまうのです。これではこのゲームは成立しません。それ以前に「スーパーマリオブラザーズ」を3Dに置き換える事自体に無理があります。
無理な点
1 | 3Dで一方向スクロールのゲームを作る事がムリ。 |
2 | 3Dだと土管に入ること自体がムリ。 |
3 | 3Dだとブロックをしゃがんで通り抜けること自体がムリ。 |
4 | 3Dだとハンマーブロスの登場がムリ。 |
5 | 3Dだと水中面がムリ。 |
6 | 3Dだと各ステージ3番目のアスレチックステージがムリ。 |
7 | なにもかもがムリ。 |
と、以上のように3Dのゲームとして「スーパーマリオブラザーズ」というゲームを考えること自体がムリだという結論に達してしまいました。しかし、こんなことを考えているうちに「スーパーマリオ64」がどうしてあんなゲームになったのかがわかったような気がしました。
次に僕の大好きなゲームである「ロックマン」を3Dのゲームとして考えて見ましょう。
「ロックマン」では「ロックバスター」という武器を使って敵を倒していきますがこのゲームが3Dになった場合、「ロックバスター」が敵に当たりません。「ロックバスター」を当てるには「ロックバスター」に「ロックオン」の機能をつけなくてはならなくなります。しかし、「ロックオン」をつけるとジャンプして攻撃をする必要がなくなるためにゲームとしては簡単な物になってしまいます。
「ロックマン」を3D化するには根底となる「ロックバスター」がシステムの変更を余儀なくされることからやはり「ロックマン」も3D化は不可能になってしまいました。
これらのことからもわかるように2Dのゲームを3Dのゲームに「そのままの状態」で作り変える事は不可能なのです。
つまり、「2Dのゲーム」は「3Dのゲーム」にはなりえないのです。
別に3Dがいけないと言っている訳ではありません。3Dのゲームには3Dのゲームの良いところが、2Dのゲームには2Dのゲームの良いところがあるということを多くの人にわかってもらいたいのです。
自分の中での位置づけとしては2Dのゲームは「直接的な技術」であり、3Dのゲームは「あいまい」ということになります。(わかる人いるかなぁ)
つまり、2Dのゲームは遊んでいる人の目にいろいろな物が移るものだったり起こしたアクションをすぐに画面上で確認できたりするけどストーリー性はないためそれぞれで考えないといけない。3Dのゲームは動きが細かすぎる故にシステムを簡略化し、誰でも遊べるぐらいに簡単にしたということです。
どうしてこんな文章を書きたくなったかというと2D、3Dに関係なく最近のゲームはユーザーフレンドリーが念頭にあるので昔のゲームより簡単なのに気が付くとそれが普通になっていてそれより上の難易度のゲームは「難しい」と感じるようになってきていると思ったからです。 この文章を書いている「僕」自身も気が付けば「今のゲーム」に慣らされていると思ったからです。 RPGにしてみても昔はノーヒントのRPGがほとんどだったので気にせずに遊んでいたものですがそんな「昔のRPG」を今やると正直、つらいんですよ。アイテムの説明が表示されなかったり装備を変更するときに数値の上昇がわからなかったら不安になるんですよ。そんなときにふと、思うんです。 もう、昔のRPGを昔の気持ちで遊ぶことは出来ないのだと・・・ ジャンルに関係なく昔は一本のゲームをいつまでも遊んでいられました。しかし、気が付くと欲しいゲームを次々と買ってクリアしてすぐに飽きてまた買ってって繰り返してる自分がいるんです。数年前はこんなことなかったはず(サターンの頃はパスワードをとるのが楽しくて「バーニングレンジャー」60周以上クリアしたり、自分の限界に挑戦したくて「悪魔城ドラキュラX 月下の夜想曲」を装備なしクリアとかして遊んでいたはず)なのに・・・ しかし、ファミコンやスーパーファミコンのゲームなら今でもいくらだって遊ぶ気になるんですよ。 その理由はというと昔のゲームって楽しいんですよ。昔のゲームって慣れると短い時間でクリアできたり、簡単になったりしましたがそれまでの過程が長かったからだと思います。考えてみてください。 「スーパーマリオブラザーズ」には8ワールド4ステージの計32ステージがありますがこの32ステージの中で一度たりとも死んだ事がないと言えるステージがありますか。そんなことを言える人はまずいないと思います。たいていの人がクリアできるであろうこのゲームでも誰だって最初からできたわけではないのです。何百という「マリオ」を失ってその末にたどついたものなのです。 そうです、本来、「ゲーム」とは繰り返しやって覚える物なんです。しかし何をはきちがえてしまったのか今のゲームにはそれがないんです。今のゲームには「誰でも簡単にクリア」できる。しかし、やり込めば「しばらく遊べる」。でも操作は複雑。ということが根底にあります。だから繰り返し遊ぶことが出来ないのです。 「やり込む」というのは本来、遊ぶ側が自ら見出すことであって作り手が提供するものではないんです。例えば、アーケードのゲーム(ゲームセンターにあるやつ)。昔のアーケードのゲームでメーカー側が「ワンコインクリア(コイン一枚でゲームをクリアすること)」を推奨した事がありましたか?それなのに遊ぶ側は「ワンコインクリア」をするのに必死になっていました。まだインターネットもなかった時代、日本全国において誰が最初に始めたわけでもなく、自然にこの流れは生まれてきました。しかし今のアーケードゲーム(特にシューティング)はどうでしょう。「ワンコインクリア」がゲームを遊ぶ上での条件の1つになっています。これでは「コンティニュー禁止!」と言われているようです。(いまどき、シューティングをやるやつなんてコンティニューをしない硬派なやつだけだという話もありますが)ま、それはさておきいつの間にか「ワンコインクリア」でさえもメーカー側から「強制」されているということがわかりますよね。つまり過去、自分達ひとりひとりがそれぞれで作ってきた「ゲームの遊び方」という道さえも今やメーカー側が作った線路の上を走らされているということにも気付かないで私達は日々、ゲームで遊んでいるのです。 次に、今のゲームの持つひどさを改めて知った時の出来事を 半年ほど前、「ファイナルファンタジーT・U」がプレイステーションで発売された時のことです。以下はとある場所で聞いた「FFT・U」を遊んだ小学生の感想です。 「ムービーとゲーム画面が違いすぎる」・・・まぁ、あのムービーは必要ないと思いましたが。 「主人公がしゃべらない」・・・主人公がしゃべらないことになにか問題が? 「どこにいったらいいかわからない」・・・どこにいったらいいかわからないってどうゆうこと? 「何をすればいいのかわからない」・・・自分で考えろ! これらの言葉を聞いている時、僕はなんだか悲しい気持ちになって涙がでそうになりました。 そのとき僕は『プレステ以降のFFをやって育った世代ってこうゆうものなんだ』と思いました。 なんか「ゲームのもつ楽しい部分」をどっかに落っことしてきててゲームを半分しか楽しめていないと思いました。 今の子供たちはどうやら「やるゲーム」よりも「やらされるゲーム」の方が好きなようです。 だから「ロックマンエグゼ」のような考えて「やる」しかし実は「やらされている」というゲームにすぐ行き詰ってろくに考えもせずにわからないと聞くのだと思います。(このゲーム程度の謎解きなら考えながらやればすぐにクリアできると思う) ちなみに今、3Dのゲームがここまでになったのは「FF」をはじめとする大作ソフトとソニーの「プレイステーション」のおかげであるということは誰だってわかる事だと思う。 しかし、知ってる人は知ってるかもしれないが今の子供たちに言っても絶対に信じてもらえない事があります。 それは 「ファイナルファンタジーZは元々ニンテンドウ64用ソフトとして開発されていたものである」ということです。 もしも「FF7」が「プレステ」に行かずに「64」で発売されていたとしたら今のゲーム業界は全然違うものになっていたと思います。 確かに「プレイステーション」はそれまでゲームをほとんどやってなかった層(ライトユーザー)を獲得することができましたがそれまでゲームをやっていた層はそんなライトユーザー向けのゲームについていけなくなってどんどん減っていきました。だからそんな数少ない昔からのゲームユーザーのためにも2Dのゲームは無くすべきではないと思います。なんかこのままでは「プレステ」以前のゲームが「なかったこと」にされる日がくるような気がします。 |
もしかしたら、いま3Dのゲームばっかり遊んでいる人は「スーパーマリオブラザーズ」でさえも満足に遊べない体になっているのかもしれないと思い、昔のゲームというものを少しでも思い出してもらえたらと思ってこの文章を書いてみました。