はじめに
 思えば初めてインターネットなるものを知ったのが中学三年生のとき。

あれから数年、やっとこの時がやってきました。かつて、「遊戯王」という

カードゲームをやっていた時に小学生に「インターネットやってないの〜」

とインターネットをやっていないことを馬鹿にされながら心の中では『親の

金でやってるくせに』なあんて思っていたもんです。とはいっても結局は

僕自身、親のお金でインターネットをやっていたりするのですが...(ち

なみに小学生に散々馬鹿にされたあげく、大事だったカードまでとられて

しまいそのカードを取り返そうとすると「カードとられた〜」とかいって立場

は逆転するし、下手すりゃ親を呼ばれてしまい、最近の親は子供のいう

ことを何でも本気で信じてしまうので一方的に悪者にされ警察まで呼ば

れそうになるわでこんな感じのことが二度ほどあって小学生と関わりを持

つのが嫌になってやめてしまった。)話はもどりまして、ずーーっと前から

ホームページが作りたいと思っていたのですが何しろ、インターネットを

やっていなかったのでホームページが作りたくても作ることができません

でした。しかしホームページが作りたい僕は「紙の上に疑似ホームペー

ジ」というものを作り始めました。それは誰に見せるわけでもなく何時の

日かインターネットができるようになったときにこういうものをつくるぞとい

うことではじめました。そして、時が経つにつれてその「疑似ホームペー

ジ」の紙の枚数はどんどん増えてゆきました。そして遂にその「疑似ホ−

ムページ」をインターネット上に「本物のホームページ」として公開できる

ときがやってきました。ということで僕はホームページ作りを始めたわけです。

話は変わりまして、このページは「ドシラソといったらきつねががつづけて

うたったよ。きつねはなにをしてあそんでいるのかな?」(なぞなぞです。

答えはファミコン。理由は各自で考えてください。昔持っていたなぞなぞ

の本にこんな問題がほんとうにあり、当時からファミコンが大好きだった

僕はこの問題だけが何時までも頭に残っているのです。)つまり、「ファミ

リーコンピューター」を中心としたテレビゲームの総合ページです。

このページが作りたかったわけはまず、ファミコンなら誰にも負けない日

本一のホームページが作れると思ったのと「シンプルだったころのテレビ

ゲームの楽しさ」を今一度再認識して欲しかったからです。あと、一番大

きいのが最近になって見られる「過去のゲームのプレミア化」というのを

なんとかしたかったからです。これはゲームだけにいえる事ではないの

ですがはっきり言って最近はすぐにプレミアがつくようになっています。こ

れにまんまと踊らされている人が多すぎると思いました。僕の周りにも一

人いるのですが、ゲームソフトやCD等を手当たり次第に買って全く使わ

ないのです。理由を聞いてみると「何時プレミアが付くかわからないから」

だそうです。同じCDを10枚ぐらい持っていたりするのですよ。さらには

「貸して」と言っても「貸してあげる」と言っても「CDに傷がつくから嫌だ」と

言います。これではもう、「何がなんだか」わかりません。これはもう完全

に「踊らされている」と思い、僕はいいました。「世の中のプレミアはほと

んどが『作られた』プレミアであり、『プレミア』なんてものは作ろうと思え

ばいくらでも作れるものだ」と。しかし何度いっても全く買うのをやめませ

ん。(ちなみに半年あればゲームだけで軽く100万は使っています。間

違いなく無駄遣いだと思います)しかし、この友人がこのようになってしま

ったのは「日本橋」と言う場所を教えてしまった僕の責任でもあるので

す。とはいっても、僕はその友人に「日本橋という所に1PLAY10えんの

ゲームセンターがある」と言っただけですが。しかしその友人は何度もそ

こに足を運んでいるうちに日本橋の持つ毒気にやられてしまったので

す。今ではもう、週に3回は日本橋に行っています。そして行くたびに万

単位のお金を使っているのです。『あのとき、なんで日本橋の場所を教え

てしまったのだろう』と僕は今でも後悔しています。そこで僕は思いました

『そもそも、「未開封」という言葉自体がおかしいのではないか』と。だっ

て、考えても見て下さい。「モノ」というのは本来、「使われる」ためにある

ものであって「使わないで持っておくもの」ではありません。何しろ、作る

側にとっては「使われるため」に作っているわけです。しかし、「現在」に

おいてはものを買っても開封しないことが「普通」になりつつあります。こ

んなこと、「作る側」は望んでいません。ひとつ、例を挙げてみましょう。数

年前、「ある一枚のCD」が発売されました。その「CD」は一万枚限定だ

ったので予約で完売してしまいました。(正確には予約さえも不可だった)

しかしその「CD」はプレミア系のCDショップにいけば「未開封の状態」の

物が超が付くほどの高値で必ずといってもいいほど「売っていたり」しま

す。そのときに僕は思いました。この「CD」を聞いたことがある人は日本

にどれだけいるのかということと「作る側」は「こんなこと」を望んでいるの

かと...これはゲームソフトにもいえることですが「プレミアが付いている

物」ほど値段云々は別にして「新品」で「未開封」の物しか見つかりませ

ん。そうでない物が存在しているかを疑うことすらあります。ここで僕は声

を大にして言いたい「珍しい物の新品よりもその物を使った後がある中

古の方が大事だと」そもそも使われていない方が高いということ自体が

おかしいのです。これは絶対にあってはならないことだが極端なことをい

うと中身が空のゲームソフトを売ったとしてもそのゲームソフトが売れる

可能性があるということに他ならないのです。これではもう、ダメです。ダ

メダメです。だから僕はそんな考えを持つ人間をひとりでも多く正しい方

向に導ければいいなと思ってこのようなページをつくろうと思いました。

僕は昔のゲーム(特にファミコン)が大好きです。なんと言ってもこのころ

のゲームはとにかくシンプルだけど作り手の「少ない容量を必死にやりく

りしてつくりました」という気持ちが伝わってくるのです。これは現在の「容

量に余裕がありすぎるから絵をきれいにしました」というようなゲームで

は決して味わうことができないものです。(別に今のゲームがおもしろくな

いと言っているわけではなく、僕個人の考えとしては「余計なものをすべ

て取っ払ったとしても楽しく遊べると思えるものが本当によいゲーム」だと

思っていますので今のゲームにはそれが足りないのではないかということです)

『こんなものよく作ったなあ』昔のゲームで遊んでいるとき、僕はよくこう

思います。今現在、きれいな(きれいすぎる?)画面のテレビゲームで遊

べるのはこの当時に必死で少しでもよい「ゲーム」をつくりだそうとした人

のおかげじゃないのかと。だって、そのときにがんばっていなかったら

「一時的なブーム」としての物でしかなく、今頃はテレビゲームそのもの

がすたれていたかもしれません。だからというわけではありませんが今ま

でで一番遊んだゲーム機は?と聞かれると迷わず僕はこう答えるでしょ

う。「ファミコン」と。僕の家のファミコンは現在四台めです。一台一台、壊

れても自分で修理してネジ山が壊れてしまってこれ以上は無理というとこ

ろまで使っています。だから、ファミコンに関しての思い出は人一倍ある

と思うのでそんな思い出を書いていきたいと思います。とりあえず、ホー

ムページに関しては「超」初心者ですがどうか温かい目で見守ってやって下さい。
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