今の時代、ネットはあって当たり前?ない人は負けですか?
2004年3月25日、『カービィ』最新作の発売日だったはずの日。
だけど3月27日現在、このソフトは発売されていない。
なぜなら、重大なバグが見つかって発売が延期したからだ。
しかし、その発売延期の発表はネット上でのみ行われた。
そして発売日の3月25日に新しい発売日が決定した。
しかしこれらのことは全てネットを見ている人たち前提であり、それ以外は完全に蚊帳の外だった。
テレビではバンバンCMが流され、雑誌には何ページにもわたって攻略が載っている。おまけにゲーム屋のチラシには堂々と載っている。ゲームショップに行ったところで発売延期と書いてあるところは稀だった。
結果的には発売前日になって『カスタムロボ』にCMが差し替えられたが、ネットをやってない人、そしてネットをやっていたとしてもそのゲームについて調べない人にとっては3月25日は『カービィ』新作の発売日であり、買いに行ったことだろう。
僕の場合、ゲームはたくさん買うが大抵のソフトは買ってから公式サイトを見るようにしている。
なぜなら、雑誌にでてる情報と公式サイトの情報は必ずしも一致するとは限らないからだ。
だから基本的に雑誌での情報しか仕入れない。あんまり色々知ってしまうと楽しみがなくなるというのも理由の一つではあるが。
今回の件だって僕はいつも行ってる『あるサイト』で知った事であり、公式サイトで目にしたのはその後のことである。
当然そんな発売1週間切ったあとに延期が発表されたってきっと売ってるんだとか思って買いに行こうともしました。
売ってるわけないんですけど。
そこで思ったのが今回の件はネットで発表しておけばそれでいいという”そういう人たち”を完全に無視したものだったということである。
ネットの情報伝達の早さにマヒするあまり、最近こういう”ネットがあって当たり前だ”という風潮がどんどん高まってきてはいますが
まさかあの任天堂ですらもそうだったことが残念でなりません。
CMに関しては止めたくても止められなかったし『発売延期』のバージョンを作ってる時間もなかったのもわかります。
ですが、ゲーム店にぐらい連絡したらどうですか?ゲーム屋が必ずしもネットをやってるなんて思ったら大間違いです。
ましてや30万本は堅い『カービィ』なんですから新聞に広告打っても良かったのではと思います。
今の時代、『ホームページ』という”自分だけの場所”を持ってそこから様々な情報が発信でき、なおかつ広告費もいらないかもしれません。そりゃあ、広告費はバカにならないでしょう。ネット上で発表するのと現実世界で発表するのとではかかる費用の桁も違うでしょう。
だからといって”無視”は良くないと思います。
『ポケモン』の広告は打っても『カービィ』の広告は打たないってことですか?
と、まあ前置きはこのぐらいにしてそろそろ本題に入りましょう。
最近の世の中の流れとして『今の時代ネットはやってて当たり前。やってないのは時代遅れ』というのがありますが、本当にそれでいいのでしょうか?
気がつけば雇用情報なんてネットでしか流れない事も珍しくなくなったため就職するにもインターネットは必須だし、リアルタイムで情報が流れるもんだからやってなかったら情報にもついていけません。
ゲーム業界で言えば新作の発表はネットが先だし、今回のように発売延期したって発表は大抵ネット上でのみ。
グッズなんかの販売情報もネットが先だから雑誌に情報が載った時点ではすでに入手不可能なんてこともしばしば。
『遊戯王』なんて大会開催場所をジャンプに載せればいいのに公開しているのはネット上でだけ。
これではネットができない『遊戯王』プレイヤーは大会にすら参加してはいけないってことですか?
そう、気がつけば世の中は完全に”インターネットに支配”されているのである。
その問題の根底にあるのはかかる費用にあると僕は確信している。
そして僕は考える、『このままではインターネットをやってない人たちへの差別が始まるのではないのか?』と。
今やインターネット上での情報入手が当たり前となり、”紙”というメディアの存在が問われてきている。
雑誌なんかなくてもネットがあれば大抵の問題が解決、場合によってはそれ以上のことを得られるからである。
それ故に最近、雑誌の廃刊、休刊が相次いでいる。
ですがそれで本当にいいのだろうか?
ネットの普及によって”紙”というメディアが必要とされなくなってきているのは事実だろう。
だからといって失くしてしまったら、ネットをやっていない人たちはどうなるのだろう?
情報がどこからも入ってこなくなることほど怖い事もないだろう。
ネットをやっていない人はまだまだたくさんいる。その人たちが必要としている限り”紙”というメディアは存在し続けなくてはならないのである。それともそういう人たちに『インターネット』を強制させるつもりですか?
ここ数年、ネットを営利目的の場だと思ってる会社がどんどん増えているような気がします。
僕としてはそれはどうかと思います。ネットはあくまでも”ファンサービスの場”であると僕は考えていますので。
そりゃあ、ネットだけで活動してれば費用はそんなにかからないと思います。そしてたくさんの利益が出るからこそネット依存しているのでしょう。でもそれじゃあネットが出来ない人を完全に無視していることになるわけです。
活動の舞台はあくまでも現実であり、それを後押しするのがネットの役目であるのが僕の理想です。
しかし、企業からしてみれば支出をカットする時に真っ先に”現実”を思いついてしまうのが現状です。
でもそれではネットをやっていない人たちはどうするんです?
インターネットを強制させるという手もありますがそれではインターネットが出来なければならないということの証明でしかないわけです。
つまり、今の時代求められているのはネットを使いこなせる人であり、そうでない人は必要とされていないという風に取れないこともないでしょうか。
最近、物事を勝ち負けで判断する『勝ち組、負け組』というのがなぜか流行っていますがそれに当てはめるとすればネットを使えないのは負け組になるのだと思います。僕としてはそんなのに勝ち負けがあること自体どうかと思っていますが。
本当にそれでいいのでしょうか?現実世界での活動はなくなってしまってもいいのでしょうか?
今やネットが普及しすぎて感覚がマヒしたために”明日この世から新聞が消えたとしてもどうってことない”なんて人がたくさんいると思います。
中にはテレビでのニュース放送すら不必要だと感じてる人だっているかもしれません。
そういう人たちに限ってネットはやってて当たり前だと思っているものかもしれません。もしかしたらやってない人がいることなんて考えもしないでしょう。だけどそれは大きな間違いなのだと僕は思うわけです。
それがたとえ無理だとしてもネットをやっている人とやっていない人とは”平等”でなければならないのです。
それを目先の利益に気を取られてその格差をどんどん広くしていてはいけないのです。
どんな時でも少数派は必ずいると肝に命じておかなければならないのです。
現実世界ではたくさんの手間がかかることでもネット世界では自分のページに書いておくだけでそれを不特定多数の人が見てくれる。その上お金もかからないとなればこういう手段に出ることも必然かもしれません。
だけどそれではいけないのです。
ネットで重大な事柄を発表するのであれば現実でもその発表をするべきなのです。それがどんなにお金のかかることであろうとも。
”ネットはあって当たり前”その考えを改めるべきなのです。
ネットはあって当たり前と考えているからこそお金のかかる現実を不必要に感じてしまうのではないですか?
そうではなくて”ネットは現実の延長線上にある”と考えてはどうでしょうか?
つまり、”現実”があるからこそ”ネット世界”は存在すると。
ネットはなくても現実世界は存在できるけど現実世界がなければネットは存在できないのです。
今の世の中はそんな簡単なことも分かってないように思えます。
この状況がさらに悪化するとゆくゆくはこの国の二分化を招いてしまうかもしれません。
そうなってからでは遅いのです。人間、一度楽を覚えるとそれが元に戻る事なんてないのですから・・・
そう、今の”リストラ”という名の風が決して止む事のないように・・・
景気が良くなれば雇用は増えるなんて思ってる人は多いでしょうがそんなのはただの幻想です。
リストラの末に出来た今の低人数の状態は”新しい会社体系”です。
企業がそれでもやれると判断した以上、景気がよくなったところでたくさんの人を雇おうなんて思わないはずです。
それと同じです。一度こぼしてしまったコップの水は戻らないのです。投げられたサイの目が変わることもありません。
だから、取り返しのつく今のうちになんとかするべき問題なのです。
少なくともここ読んだ人はネットをやってない人もいるということを忘れないでください。
ところで『カービィ』の重大なバグって一体なんですか?これのおかげで『夢の泉の思い出』書く気なくなったじゃないですか。
レビューした人がクリアしてそうなことを考えるとクリア後のなんらかの要素が出なかったってことですか?
遊んだ上での重大なバグってそれぐらいしか思いつきません。
それにしてもキャンペーンに関してはネットをやってない人にも救済措置があって『ちゃんと考えているんだな〜』と評価していたのにこんなことになってしまったのが残念でなりません。